自考日本文学选读试题及答案201207
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2012年7月日本文学选读试题及答案
黄色阴影处为不确定部分,此份答案得分93,供大家参考!
一、近世部分
1、徳川幕府の時代を江戸時代といい、文学史上で近世とも言う。この時代の特色は厳しい封建的社会体制の中で、最下層階級の庶民の町人が次第に力を蓄え、文学の作者、読者そして主人公として登場することである。(2点*3=6点)
2、西鶴の小説は好色物・・・・・・に大別される。好色物は・・・・である。武家物は・・・・「武家義理物語」などの作品がある。町人物は・・・・・「世間胸算用などの作品がある。雑話物には・・・・西鶴諸国ばなしや人間の醜悪な面を直写した本朝二十不孝などの作品がある。(1点*4=4点)
3、小林一茶の句には、逆境から生まれた独特の主観が強く示され、既成の風流観に囚われない素材や、俗語・方言の使用などによって、近世には珍しい生活派の俳人として高く評価されている。(2点*2=4点)
4、江戸前期的文学は上方を中心とし、その最上期は元禄の頃である。俳諧の
因,且答案中有2个肯定不是搞俳諧的,还有个“世阿弥”我不认识,所以就选了个中世的俳諧师宗鑑,不知道对不对哦)らの俳諧連歌などが大きな展開を実現した。小説のジャンルでは、前代の御伽草子を受けて、仮名草子、そして井原西鶴の浮世草子が近世を代表する文学として登場する。(1点*6=6点)
5、明確に大人を対象として、滑稽・おかしみを機知的に盛り込んだものを、表紙の色によって、黄表紙と呼ぶ。恋川春町の「金々先生栄華夢」がその初めで、以後大いに迎えられたが、明誠堂喜三二の文武二道万石通のように、社会風刺や政治批評に触れるものが出始めると、寛政の改革の弾圧の対象となり、生気を失った。(1点*6=6点)
6、江戸時代には流行した怪異小説である「雨月物語」は上田秋成の作品で、全五巻に九個の短篇を納めるが、中国の説話を翻案したものが多い。(2点*3=6点)
7、江戸幕府は、封建支配の理念として、名分を正しい道義を根本とする朱子学を官学と定めた。(2点)
8、芭蕉は四十歳の時、郷里「野ざらし紀行」の旅に出て、休む時間もなく「鹿島紀行」「笈の小文」「奥の細道」の旅に出る。芭蕉は旅の間に、侘び人としての人生観を体得し、閑寂・幽玄の芸術観を深め、不易流行の思想を育み、蕉風俳諧の基盤を作った。(2点*3=6点)
9、中世末期の俳諧連歌の流れを受け継いで、近世初頭に松永貞徳が新しい俳
含めることを重じた。(2点*2=4点)
10、近世後期の文学は江戸を中心とし、その最盛期は文化文政(可简称为化政)のころである、俳諧では、有力な詩人や歌人が異彩を放ち、一方、川柳、狂歌が大衆の文学を代表する。(2点*3=6点)
11、近松門左衛門は誰よりも先に町人の中から、下層階級を発見し、彼らの生活を観察し、彼らの運命に同情し、彼らを主人公とした新しい劇を書くことに自分の天分と生涯を捧げたのである。彼は封建社会の矛盾、階級闘争を庶民の芸術の形で表現した。彼の世話物の多くは、曾根崎心中などのような心中の浄瑠璃である。(2点*3=6点)
12、近世後期には、江戸歌舞伎が写実的な様式(形態美(答案有:古典美、舞
化・文政期の鶴屋南北や、幕末の河竹黙阿弥がその代表である。(2点*2=4点)
13、近世文学の流れをくむ戯作文学仮名垣魯文の小説「安愚楽鍋」、「西洋道中
を描いたが、時代の転換に対応しきれず、急速に衰えた。(2点*3=6点)
14、二葉亭四迷の「浮雲」は、言文一致を目指した新文体で工夫され、後半では熟した口語文体にまで成長している。ヨーロッパ式の描写技法が駆使され、今も新鮮さが失われていない。正に日本近代文学第一ページを飾る最初の優れた小説と言えよう。(2点*2=4点)
15、明治二十年代の前半には、哲学的・東洋的な男性的風格のある幸田露伴の文学が流行し、この時期、創作界は紅露時代と呼んだ。この時期の文学を前近
岛崎腾村,因为后面说了国木田,所以我就选了一个和他一派的,嘻嘻)であったが、キリスト教らな平民主義の民友社の中にいた国木田独歩もこの文学を封建時代の文学として排斥した。(2点*3=6点)
16、鴎外に絶賛された、当代随一の女流作家であった樋口一葉は、封建的桎桔にあえぐ女性の悲運を描く新境地を開拓し、雅俗折哀体で「にごりえ」「たけくらべ」などを発表し、詩情豊かな浪漫的作品を世に送った。(2点*3=6点)
17、晩年の森欧外は、歴史の事実をみだりに変更することを嫌い、正確な史料を現代によみがえらせる史伝の世界を開き、緻密な実証的調査に基づいた科学的方法で、「渋江抽斎」「伊沢欄軒」などの史伝物を世に送った。これらの史伝の中に近代的な問題意識を鋭く盛り込んだのである。(2点*2=4点)
18、近代の情熱を歌い上げた叙情詩集「若菜集」をあらわし、浪漫詩として出発し、明治三十年代半ばから自然主義的散文に移行しつつあった。島崎藤村が明治三十九年に「破戒」を発表するに至って日本での自然主義の展開が具体化した。(2点*3=6点)
19、「高野圣」は、泉镜花の代表作で、浪漫的・幻想的な怪異小説の最高峰だと言われている。その幽顕一如の世界は、エロスの相のフロイディズムの検討を越えて、日本的、庶物崇拝的、反近代的世界を展示し、名文とあいまって、唯美的な物語りを成立させている。(2点*2=4点)
20、夏目漱石は「吾輩は出子である」で一躍文名を挙げ、芸術主義的な作品を多く書いたが、朝日新聞入社後の「慮美人草」以後、次第に深刻な人間の問題と対決するようになった。漱石の門下からは小説・評論など多方面の人材が輩出し、中でも文学史的に最も重要なのは、大正期の代表作家、「鼻」「羅生門」「地獄変」などの作者芥川龍之介である。(2点*2=4点)