中日の酒文化についての探究
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中文提要
酒文化无论在哪个国家的风俗中都占有非常重要和特殊的地位。
中日两国是一衣带水的邻邦,同属东方民族。
两国从古代就开始了交流,日本从中国学习技术的同时也吸收了中国的文化,在各方面有相似的生活方式以及文化。
其中酒文化也出自同一渊源,中国的传统文化、农业文明和曲酒酿造技术传到日本,促进了日本文化及酒业的发展。
中日两国的酒文化历史、酒俗、饮酒态度和酒德酒礼都大同小异,各有所长,各有所短。
中日两国人民相互交流,相互学习和借鉴,在差别中寻求融合,在融合中保存差别,共同创建适合于本国国情和世界酒文化发展方向的新型酒文化。
本文以中日两国的酒文化为研究对象,进行展开论述,本文首先从世界酒的起源,中日两国酒文化的起源,发展,特征等方面详细说明,接着从中日两国酒文化的多个方面,例如酒的种类,喝法的差异,饮酒礼仪等方面,对中日两国的酒文化进行详细的分析,最后通过对两国酒文化的比较,总结出两国酒文化的差异。
关键词:中日酒文化交流发展
外文提要
酒文化はどのような国の習慣においても重要な地位を占める。
両国の距離が近く,一衣带水の国である。
両国は古代からさまざまな交流がはじまり、日本は中国からの技術を勉強するとともに、中国の文化を吸収し、各方面に似ている生活方式と文化がある。
その中の酒文化が同じ根源であり、中国の伝統的な文化、農業文明および醸造技術は日本につたわり、日本文化と酒造の発展を促進した。
中日の酒文化史、飲酒の習俗、酒に対する態度と飲酒の礼儀作法は大同小異であり、それぞれの長所と短所がある。
中日の国民はお互いに交流し、勉強し、差異の中に共通処を見つけ出しながら、自分の特色を保つ。
共同で自国文化と世界酒文化の発展に適する新型酒文化を創ろうとしている。
本稿は中日酒文化を研究対象にして検討し、先ずは世界酒の起原と中日の酒文化の起原、発展、特徴などから説明する。
それで、中日酒文化の各方面から、たとえば、酒の種類とか飲む方法の異同とか礼儀などの方面から中日酒文化を詳しく分析する。
最後に両国酒文化の比較することを通じて両国の酒文化を総括する。
キーワード:中日酒文化差異交流発展
目次
はじめに (1)
第1章酒の始まりと歴史と発展過程 (3)
1酒の始まり (3)
2中国の酒の歴史と発展過程 (2)
3日本の酒の歴史と発展過程 (3)
第2章中日酒文化の共同点 (5)
第3章中日酒文化の違う点 (5)
1酒の種類について (5)
2飲み方と飲む礼儀について (6)
2.1乾杯の意味 (6)
2.2「絶対ぜったいに酔すいっ払ぱらってはならない」というタブー (6)
2.3「宴会でまじめな話をしてはならない」というタブー (7)
2.4 酒を勧める時の習慣 (9)
3 祭りについて (9)
4 婚俗こんぞくについて (9)
5 ほかにのついて (10)
6 結論 (10)
おわりに (11)
注 (12)
参考文献 (13)
はじめに
日本にほんは,中国ちゅうごくの近ちかくに位置いちしている。
両国りょうこくは古代こだいから交流こうりゅうしてきた。
日本にほんは中国ちゅうごくから技術ぎじゅつを習ならうのと同時どうじに、中国の文化もならってきた。
それが故ゆえ、各方面で,類似的るいじてきな生活様式や文化を持っている。
中国も日本も酒の国と称されている。
酒文化は悠久な歴史を持つている#中国には「日に一杯の酒を飲めば、99歲まで生きられる」という諺もある。
長年来、日本をよく理解するために、いろいろな面から研究した文章が発表されている。
例えば、彭広陸氏の『日本料理名の比較』、潘鈞氏の『日本人の漢字観の変化』などの文章がある。
本稿ほんこうでは、酒文化さけぶんかの面から日本を研究する試みをした。
日本は自分の民族性があるので、自分の文化をもっている。
それが故、各方面で類似的な生活様式や文化を持つているが、その反面、乾杯と酔つ払いに対しての見方や、宴会などでのまじめな話しについての観念の面では大きな相違点も見受けられる。
中日酒文化の共通点や違う点を研究して、日本社会をよく理解することに役立ちたい。
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第1章酒の始まりと歴史と発展過程
1 酒の始まり
12億年前というはるかな昔この地球に、酒を造る酵母菌こうぼきんの先祖があらわれたのに続いてほぼ20万年前、人間(ホモサピエンス)が出現したが、その頃には、酵母はすでに大きな進化をとげ、糖とうを発酵はっこうしてゕルコールを造る機能をもつようになったと思われる。
その酵母が、地上に落ち、果物を自然に繁殖はんしょくさせ、果物を発酵させた。
その後、人類は作物を栽培さいばいし収穫しゅうかくすることをおぼえ、その貴重きちょうな食べ物と、目に見えない酵母を巧たくみにあやつって、酒をつくりあげた。
もちろん、まだ酵母の存在さえしらず、その概念ももたなかった当時の人々は、この発酵という不可解な現象を、すべて「神のなせるわざ」だと考えたに違いない。
「古い文明は必ずうるわしい酒を持つ。
すぐれた文化のみが、人間の感覚を洗練し、美化し、豊富にすることができるからである」[1]といわれる通り、世界の民族は、独自の酒とその文化を育ててきた。
それが民族間の交流によって各地へ伝播でんぱされ、時代とともに改良かいりょうされ、進歩してきた。
たとえば、メソポタミゕで始まったワンは、シュメール人、フェニキゕ人、ギリシゕ人、ローマ人の手をへて、穀物こくもつにはあまり適さないが果樹かじゅには良いという自然を背景にヨーロッパ全土に展開し、発展してきた。
2 中国の酒の歴史と発展過程
中国の酒造りの歴史は大変古く、2004年に、「今から9000年ほど前の賈湖遺跡で酒造りの痕跡を見つけた」という発見があり、世界を驚かせた。
歴史時代では殷(商)の王(今から約3100年前)が宮廷に3000 人を収容できる「酒池肉林」を造つたという有名な逸話もある。
秦の始皇帝、
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漢の武帝も造営した。
今から1800年前の『三国志』の時代には西域から葡萄酒が多く入つてきた。
この時代では曹操の禁酒令、孫権の酒乱なと、酒の話題が大変になつた。
6世紀の北魏時代、現存する最古の料理害『斉民要術』が著され、さまざまなお酒の造り方が細かく残された。
また、ニの頃には度数の高い酒も登場していたようで、「匂いを嗅ぐだけで何日も昏睡した』という話もある。
8世紀の唐下朝の時代、多くのお酒に関する漢詩が詠まれた。
中でも、西域の砂漠を舞台とする「边塞詩」ではお酒を情緒深く络ませている。
11世紀頃の宋代になると、蒸留酒であるむ酒が多く造られるようになり、現在に至つている。
中国の蒸留酒の始まりについてはあまり分かつていない。
現在では各都市で1万を超える地の白酒が造られるなと、中国人にとつて身近なお酒になつている。
今から100年ばと前、ドツが中国の山東半島へ進出した時、ここにビールとワンの製造工場を造つた。
このため、現在でも中国山東省ではビールとワンの生産が盛んである,今日、中国を代表する高級白酒は五粮液である。
3 日本の酒の歴史と発展過程
日本の酒は土着の酒と、渡来人が伝えた酒の2種類が知られている。
土着の酒については米を嚙んで吐き溜める[ロ嚙み酒]が知られ、「醸す」という読みは[喃む」が語源になつたという説がある,一方、渡来人が伝えた酒は現在の「甘酒」にあたる酒と考えられている。
これは麹を原料とした醸造法で、大王の一族が朝鮮半島から技術者を連れてきたのが始まりという。
古代日本のお酒は朝廷の造酒司を中心に更なる開発.改良が進められており、平安時代中頃の10世紀には現在のような日本酒の醸造法が確立し
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ていた。
平安末期、朝廷が衰えると酒造りの技術は大阪,奈良なとの大寺院が受け縦ぎ、「僧坊酒」として名を博す。
戦闲末期、津島にもゆかりのある織田信長はこれらの寺院に対して徹底的に弾炻を加えた。
これにより僧坊酒の高度な技術は流出、分散し、各地で地酒が造られる下地になつた。
今から約600年前の1404年、長崎県に、朝鮮半島からゕルル度数の強い蒸留酒が送られてきた,これが日本で最初に確認できる焼酎である。
その後、琉球からも泡盛の製法が伝来し、焼射は九州各地で造られるようになつた。
今から6年前、焼酎は突如ブームとなり、多くの銘枘を見かけるようになつた。
豊臣秀吉は最晩年(1598年)、京都の醍醐寺で盛大な花見を催し、全国から銘酒も集めた。
ただし、これらの銘酒は現在でははとんど残っていない。
江戸時代初期、それまで年5冋醸造していた日本酒造りを幕府が「年1回冬期のみ]の醸造に制限した。
これは現在の酒造りにも继承されている。
明治以降(こなると、酒造業は製法も設備も近代化し、安定、安全に生産がで3るようになった。
今から約400年前、醍醐寺に博多の練貫酒、大阪の天野酒、伊豆の江川酒、備後の三原酒なと、各地から銘酒が集められたという。
第2章中日酒文化の共同点
日本は,中国と非常に近い。
両国は古代から交流してきた。
また、儒学じゅがくの影響で、酒文化はいろいろな共同点を持っている。
両国の人民は酒が大好きだ。
酒についての文章もたくさんある。
例えば、中国三国時代の曹操そうそうの『短歌行たんかぎょう』がある。
日本の「万葉集」に書かれた山上憶良やまのうえのおくらの有名な「貧窮問答歌ひんきゅうもんどうか」の一節ひとふしに「堅塩けんしおをとりつづしろひ、糟湯酒かすゆざけうちすすろいて...」と、塩をさかなに酒糟を湯でといて飲む庶
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民の姿が歌われていて、当時すでに貴族たちは「もろみ」を絞った「澄酒(すみざけ)」を飲んでいたことが伺える。
酒が祭祀さいしに役に立つことは明瞭めいりょうである。
両国とも酒で祭祀をする。
酒は神と人間との掛け橋として、神かみに捧ささげる。
そのほか、両国では、料理を作る時、よく酒を使う。
中国では黄酒を使い、日本では味醂みりんを使う。
第3章中日酒文化の違う点
中日の酒文化は共同点がたくさんある。
しかし、あでやかな日本の風土とデリケートな日本人の感性とによって自分の酒文化が育てられ、発達してきた。
1酒の種類について
中国の酒は大きくいって白酒しろざけと老酒らおちゅうに分かれる。
色で分類するのはいかにも即物的そくぶつてきだが、「白」は白色ではなく無色透明むしょくとうめいの意いで蒸留酒じょうりゅうしゅのことだ。
有名なものには「マオタ酒」(53度)をはじめ「五粮液ごかてえき」(60度)「汾酒ふんさけ」(50~60度)などがある。
黄酒きざけは醸造酒じょうぞうしゅでコハク色から得た名前であろう。
これは老酒とも言う。
よく熟成じゅくせいしたという意味から来たものらしい。
なかでも紹興酒しょうこうしゅ(13~18度ど)が有名ゆうめいだ。
黄酒きざけは地域的には長江以南が多いようだ。
日本の酒は大きくいって清酒と果酒はてざけに分かれる。
日本は、高温多湿こうおんたしつで豊かな四季をもち、稲穂いなほがみのるので、米を原料とした清酒が生まれた。
清酒の味は主に甘口あまくちと辛口からくちの二種類がある。
中国は地域が広くて、民族が多いので、酒の味も多種である。
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2 飲み方と飲む礼儀について
中日の文化や思想が違うので、両国の飲み方や飲む礼儀も違う。
中国の宴会には大きく言って三のタブーがある。
2.1 乾杯の意味
手酌てじゃくなどはご法度はっとだ。
飲む場合には必ず誰かと乾杯をしなければならない。
目と目を見交わせながら飲むのが中国流の宴会の基本である。
中国人は必ず誰かを誘って一緒に飲む。
例えば、十二人でテーブルを囲かこんだ場合ばあい、その日のホストが杯をあげて「さあ、皆さん、今日は本当によくいらっしゃいました。
乾杯」とやる。
中国人は文字通り杯を乾かしてしまう。
だから一滴も残らないように全部乾かしてしまわなければならない。
最も理想的なのは全員と乾杯するという方法だ。
自分の右隣みぎどなりの人から一人ずつ乾杯して全員と酌くみ交かわすことだ。
当然のことながら、全員が人数の回数だけ乾杯することになる。
なるべく全員が同量の洒を飲むと言うのが中国流の宴会の重要な作法さほうだ。
ところが、日本人の乾杯は宴会の始まるときだけで、あとは皆自分勝手みなじぶんかってに飲むようだ。
「乾杯」というと日本人は杯をあげて適量飲む。
これは中国人がいうところの「乾杯]とは基本的に異なる。
日本では「乾杯」とは言うが、必ずしも杯の酒を飲み千す意味ではない。
[お好きなだけ」ということのようである。
2.2 「絶対ぜったいに酔すいっ払ぱらってはならない」というタブー
中国人ちゅうごくじんの宴会えんかいでは、とにかくありとあらゆる口実こうじつで酒さけを飲のまされる。
しかし、どれだけ酒ざけを飲のまされても酔よった様子ようすを表おもてに出だしてはいけない。
宴会えんかいが終わるまでシャンとしなければならない。
すなわち、たとえ酒さけの場ばであっても絶対ぜったいに緊張きんちょうをくずさず、最後さいご
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まで崩くずれない人ひとこそが、中国ちゅうごくの社会しゃかいでは尊敬そんけいされるのだ。
だから、うっかり気きを緩ゆるめて泥酔でいすいでもしようものなら二度にどと宴会えんかいに呼よばれないようになる。
日本人にほんじんからすれば信じられないことかもしれないが、宴会えんかいの場ばに於おいて酔ようような人間にんげんは信頼出来しんらいできないと思おもわれる。
日本人にほんじんの場合ばあいは、どうもこれと正反対せいはんたいのようだ。
飲のんでも羽目はめを外はずさない人ひとは「腹はらを割わって話合はなしあってくれない」とか「つき合あいが悪い」「薄気味悪うすきみわるい」などという理由りゆうで評価ひょうかが下さがるようだ。
そして醜態しゅうたいをさらした人間の方が何となく信頼出来ると評価される。
2.3 「宴会でまじめな話をしてはならない」というタブー
特に政治向きの話などはもってのほかだ。
同じようなことは欧米のパーテゖーでも言われるようだが、中国の場合とかなりニュゕンスが違う。
欧米の場合は思想信条が違う人がいると議論になってしまい、白しらけるから政治の話や宗教しゅうきょうの話はしない方が良いという意味らしい。
だが中国の場合、もし政治批判の話が飛び出した場合、それを聞かれた方は窮地きゅうちに陥おちいってしまう。
中国人は言質げんちを取られるのを極端に怖れる。
他人から攻撃こうげきされたとき、言質げんちを取られていると逃げ道がなくなるからだ。
だから中国人はなるべく面倒なことになりそうな話は避さけたがる。
また宴会の場で、酔よった勢いきおいで政治批判の発言をした人間は勿論弱もちろんよわみを握にぎられるわけだが、それを黙って聞いていたと言うのも同罪どうざいと見なされるのが中国社会の常識なのだ。
黙っているのは賛成の証拠だろうと言われるからだ。
かと言って反論を仕掛しかけるのもおろかしいことで、反論をすればその発言によってまた言質を取られることになる。
だから宴会の席に置おいては絶対に政治の話をしないのだ。
小声こごえで隣りの人と話をするの
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は何にか企たくらみごとをしているのではないかと疑うたがわれるし、無礼ぶれいなことだと思われる。
馬鹿話を大きな声でしなければならない。
日本人は、それと違うのだ。
酒を飲んだ後、日本人は自分の言行げんこうをある程度寛容する。
宴会の後半では、とても自由だ。
人々は席を換え、等級観念とうきゅうかんねんも無視むしできる。
上司を叱ってもかまわない。
中国人は楽しくて飲んでいるのではない。
宴会とは娯楽ではなく自分がいかにしっかりした立派な人間であるかを証明するための、ある意味に於おいては「戦いくさの場ば」なのだ。
だから絶対に酔ってはならない、我慢競争がまんきょうそうに勝かち続つづけることが、中国社会では尊敬される条件なのだ。
つまり中国人にとっての宴会とは、もう一つのビジネスなのだ。
来る日も来る日もパーテゖーに出つづけ、そこで酔いを見せることなく帰ることによって、他人の信頼を勝ち得ていく。
これが中国社会の付き合い方なのだ。
何度も同じ人に宴会で会い、その人物が酔よわずにしかもいつもたわいのない話をしている姿を見て「なるはど、この人は一緒に仕事をしても安心だ」と判断するのだ。
だから中国人の社会において宴会に呼ばれなくなるというのは、社会的な死を意味することだ。
あいつは羽目はめを外す、だらしのない奴だという烙印らくいんが押されるのである。
中国人にとって宴会は重大な機能がある:第一に誰が信頼できないかを見分けるという機能、第二に常にパーテゖーに出席することによって、自分に寄せられている信頼感を他人にゕピールする機能、そして第三に中国人社会で力を失った人間を見極みきわめることができるという機能である。
どこの宴会へ行っても見かけなくなった人は、まず失脚しっきゃくしたと考えて良いであろう。
そして最後は有力者ゆうりょくしゃとコネを付けるという機能だ。
日本では、そんな機能はない。
ただ酒を飲むために、宴会を開催する。
中国のような複雑な関係はない。
2.4 酒を勧める時の習慣
中国には相尹に酒を勧めるという習惯がある。
宴会の席では友速の問や主客の間において、お互いに「もう一杯どうぞ」と酒を&め合う。
このような習惯によって、相手に对する自分の思いやりと友情の気持ちなとを表現したり、伝えたりする。
そして双方が飲める限界の量やそれを超えたとき、相互に初めて友情とレて認め合う參言わば、「酒は知己に逢えば千杯も少なし」である。
ところが、日本には相尹に酒を勧めるという習惯がない。
3 祭りについて
日本では、いろいろな祭りがある。
天皇に司会しかいされた祭りは特定とくていな酒がある。
ほかの祭りの酒は市民や政府部門で責任を負う。
中国では、そんな厳しい要求がない。
日本では、祭りが終わったら、皆は一緒に神かみに捧ささげる酒さけと食品しょくひんを飲のんだり、食べたりする。
それは「神人共食かみじんともしょく」と言う。
中国では、そんなことはできない。
この点から見れば、日本は中国より実用を重視する。
捧げる酒を飲んで、神様と祖先に差し上げる願望で満足したり、人間に団結だんけつな雰囲気を創造したりすることができる。
4 婚俗こんぞくについて
中日の婚俗の中では、酒は重要な役割を果たす。
婚約する際、結納ゆいのうを受ける際、結婚する際酒は欠かせない。
送った結納ゆいのうの中には、中国では酒がある。
しかし、日本では酒はない。
結婚式の時、新婚夫婦しんこんふうふは夫婦ふうふの固かため杯さかずきの酒さけを飲のむと風習ふうしゅうがある。
中国人はただ一杯飲む。
日本では三三九度さんさんくどというのがある。
昔は大盃おおさかずきをみんなで回し飲んだ。
三つの盃は、天?地?人を意味し、三はめでたい陽数ようかず、九はその最高の数字で、めでたいことの頂点を意味する。
その盃が一巡いちじゅんす
ることを一献いっこんといい、三組さんくみの盃さかずきが一巡いちじゅんすれば三献さんけん、これを三度繰みたびぐり返かえすのが三三九度さんさんくどというわけだ。
この飲酒習慣いんしゅしゅうかんが、契ちぎりの酒さけとして、今の結婚式でも継けられている。
5 ほかについて
中国では、女性は酒を飲まないことがよいと思われが、日本では、女性は酒に強いことがよいと思われる。
しかし、社会の進歩にしたがって、中国の女性の観念も本と同じになりつつある。
日本人は夜酒よるざけを飲むのがすきだ。
彼らはそうして、一日の仕事の疲つかれを取とり除のぞけようとする。
そのほか、日本人は中国人のように、同じ場所で飲むことをしない。
彼らは味を変えるために、よく場所を換える。
それを「梯子はしごのみ」という。
日本では、もし自分の夫が仕事を終えてから、家で夕食をしないで、外で食べれば、妻は喜ぶのである。
中国では、そんな観念はない。
そのほか、中国では、酒を飲む時、人々は大声で話し、騒ぐのである。
日本では、酒を飲む時、話をしなく、静かである。
ただ、日本では居酒屋いざかやというところがあり、そこでは大声で話して、自分のうっぷんを晴らす。
6結論
中国人にとつて宴会は重大な役割がある。
第一に、誰が信頼できないかを見分けるという役割、第二に、常に、パーテーに出席することによつて、自分に寄せられている信頼感を他人にゔビールする役割がある。
第三に、中国人社会で力を失つた人間を見極めることができるという役割である。
最後は有力者とコネを付けるという役割だ。
日本ではそのような役割はない。
ただ酒を飲むために宴会を開催する。
中国のような複雑な関係はない。
日本は中国と非常に近ぃ。
また、儒学の影響で、酒文化はぃろぃろな共通点を持つてぃるが、艴やかな曰本の風土とデリケートな日本人の感性によつて酒文化が育てられ、発達してきた。
日本の社会文化からみると日本は集団主義と「和」を重要に思つてぃるとぃうことが知られる0日本では社会の競争が激しく、人々は一生懸命働き、ストレスが非常に強ぃ。
そして、日本人は自己開示が下手で、精神的緊張度の高ぃ民族である。
それに、日本では「和」の精神が強く、自分の意見や気持ちを相手に伝えたり、行動したりする時、相手の気持ちや立場を考慮しようとする。
日本人は集団の中で「和」を重視し、他人との摩擦を避けようとする傾向が強ぃ。
そのため、中国のような必ず乾杯をしなければならなぃ場合はなぃ。
まじめな話をしてもぃぃし、酔つ払つても構わなぃ。
おわりに
以上の中日両国における酒文化を対照しての分析から、日本社会の特徴とくちょうの一面を理解する。
1、日本では、社会の競争が激しい。
人々は一生懸命働き、圧力が非常に強い。
そして、日本人は自己開示じこかいじが下手で、精神的緊張度せいしんてききんちょうどの高たかい民族みんぞくである。
またコミュニケーションが苦手で、酒を通してはじめてスムーズにコミュニケーションがてきるという希有けうな民族みんぞくともいえる。
日本酒にほんしゅが単たんなる儀礼ぎれいにとどまらず、社会しゃかい生活の中で潤滑油じゅんかつゆとして重要じゅうような役割やくわりを果はたすものとなってきたのも納得なっとくできることである。
2、日本では和の精神が強い。
自分の意見や気持ちを相手に伝えたり、行動したりする時、日本人は相手の気持ちや立場を考慮しようとする。
日本人は、集団の中で、「和わ」を重おもんじ、他人たにんとの摩擦まさつを避さけよとする傾向けいこうが強つよい。
そして、酒を飲む時、彼らは一般に静かで、他人の邪魔をしない。
将来、これについての研究も続けて
いる。
注
[1] 坂ロ謹一郎1997『日本の酒文化』岩波書店(pp.95)
参考文献
1.蒋雁峰 2006 『中国酒文化研究』湖南师范大学出版社 (pp.1-12,41-71,196-335)
2. 李争平 2007『中国酒文化』时事出版社 (pp.305-321)
3. 王惟恒,强刚 2007『中国酒文化与养生药酒』人民军医出版社(pp.51-95)
4. 万伟成,丁玉玲. 2008『中华酒经』百花文艺出版社(pp.1-3)
5. 席坤2009『中国饮食』时代文艺出版社 (pp.221-227,244-246)
6. 石毛直道1998『論集酒と飲酒の文化』株式会社平凡社 (pp.39-81)
7. 熊食功夫1998『日本人の酒の飲み方』株式会社平凡社 (pp.451-462)
8. 坂ロ謹一郎1997『日本の酒文化』岩波書店(pp.92-100)。